ロシア文学読書会~ミーチャの愛~

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第三回 МИТИНА ЛЮБОВЬ

原文はこちら И. А. Бунин. Митина любовь. Текст произведения. III (ilibrary.ru)

 

 カーチャの試験の日(大斎の第6週目)には、ついに、ミーチャの苦しみがすべて正しかったことが明らかになったかのようだった。
そこでは、カーチャは、もうまったく彼を見ず、気付かなかった。まったく別人で、まるでみんなのものだった。


彼女は大成功を収めた。 彼女は花嫁のように真っ白で、興奮が彼女を魅力的にした。 彼女は、温かく友好的な拍手喝采をされた。最前列に座っていた演出家(校長)や、熱狂的で切ない目をした自信過剰な俳優が、プライドを満足させるためだけに時々彼女に低い声で話していたが、どういうわけか観客全員の耳に入り、耐え難く聞こえた。
「読むのが少ないよ」と、彼は重く、落ち着いて、非常に冷静に言った。カーチャが、まるで自分の財産であるように。「演じないで、でもなりきって。」と、彼は、別に言った。
これは耐え難いことだった。拍手を呼ぶ朗読には、本当に耐えられなかった。緊張で真っ赤になったカーチャの声は時々途切れて、息が続かず、それは胸を打たれるような魅惑的な姿だった。しかし、彼女がそのような上品とはいえない調子で一つ一つの音声をふざけたようにわざとらしく朗読するのは、ミーチャの仲間からはひどく評判の悪い技巧であったが、カーチャには自分なりの考えがあってのやり方だった。彼女は言葉を発せず、何か物憂げでいてかつ熱情を帯びて節度のない、自分の中の意思とは何の関係もなさそうな感嘆の声を執拗に出し続けていた。羞恥心からミーチャは彼女をまともに見ることができなかった。彼女の顔は紅潮し、観客たちが皆カーチャを下から見上げているので、白いドレスは舞台上でより短く見えた。白い靴と、白い絹のストッキングで包まれた足に入り混じる天使の清らかさと汚らわしさは、一層ひどくなった。”少女が教会の合唱で歌って”ーカーチャはまるで天使のように純粋などこかの少女について語っているかのように、あまりにわざとらしく作り込んだ繊細さで読み上げた。ミーチャはカーチャに対して、好きになった相手に対して誰でもそうなってしまうように、神経質な親しみと酷い敵意、誇り、彼女は自分のものだという自負を感じ、同時に引き裂かれた胸の痛みも感じた。…いや違う、もう自分のものではない!


試験の後は再び幸福な日々がやって来た。しかし、既にミーチャは以前のように簡単には、幸福な日々を信じることができなかった。試験のことを思い出しながら、カーチャは言うのだった…
「何てあなたは馬鹿なの!まさか私があなた一人のためだけにあれほど上手に朗読したって感じてないわよね?」
だが彼は試験の時に感じた気持ちを忘れることができなかったし、その感情が今残っていないと認めることもできなかった。
彼の秘めた感情を感じ取って、カーチャは口論の時に叫んだ。
「あなたが何故私を愛してるのかわからない、あなたからしたら私は全部こんなふうに下品よ。結局私に何を求めてるの?」
彼の愛は減るどころか、彼女のせいで、この愛、彼女の張りつめた力のせいで、誰か、何かから彼が起こす嫉妬の戦いと共に大きくなっていき、全てより厳しくなっていったにも関わらず、彼自身、何故彼女を愛しているのかわからなかった。

「あなたは私の体が好きなだけで、私の中身を愛してない」
ある時、カーチャは苦々しくそう言った。これもまた、どこか違う、芝居がかった言葉だったが、これらの言葉のナンセンスさと陳腐さは、どこか解決できない苦しみに触れてもいるようだった。彼は何故愛するのかを知らず、何が欲しいのかを正確に言うこともできなかった。そもそも愛とは何なのか?
ミーチャは愛について聞いたことも、読んだことも、それを定義する言葉をひとつも持っていなかったから、ましてやこれに答えることはできなかった。本や人生の中で皆がいつも、ある種の何かプラトニックな愛、あるいは熱情や官能と呼ばれるものだけについて話すというふうに取り決めたかのようだった。彼の愛はどちらとも似ていなかった。では、彼がカーチャに感じているものは何なのか?愛と呼ばれるものなのか、情欲と呼ばれるものなのか?
彼女のブラウスのボタンを開けて、彼女の胸、何らかの天性の魅力と純潔さ、魅惑的な従順さとあられもない清純さを備えたあけっぴろげな魂に口づけたその時、彼を死にそうなほどの幸福で気絶しかけさせたのは、彼女の体と魂のどちらなのだろうか?